夢の話

つるつると丸い小石の敷き詰まった河原で屈んでいる。足の裏を燃えるように赤い水が浸していた。海の潮が満ちるように川も少しずつ水嵩を増して、いずれ俺のいるところは首まで全部浸かってしまうことがわかっていた。
河原には蜜柑が無数に転がっていた。俺はそれらを拾い集め、高く積み上げなければならなかった。なぜそんな仕事をしなければならないのか、はっきりしたことを思い出せなかった。ただ俺はそれを達成しない限り家に帰ることができないのだと、貰ったメールに書いてあった。
川の水を受けて鮮やかなオレンジ色に濡れた蜜柑を目につく端から拾っていく。一個、二個、重ねて三個。七個まで積んだところでだめだった。バラバラ落ちて小石に跳ねる。弾みで傷ついた皮からあかるい蜜柑の匂いが立つ。それを拾い集めてもう一度。今度は十個、その次は二個で、コロコロ無残に崩れてしまう。これではまるで積み上がっていく気がしない。
俺なんでこんなことしてんだろ。家の炬燵で呑気に皮剥いてたのが懐かしい。こんなことになるんだったら、あんなメール読むんじゃなかった。
そう思ったら強い悲しみに襲われて、涙がぽろぽろ溢れてきた。だがあたりには誰もいない。民家もない。ただ燃えるように赤い空と、その色を映した地獄みたいな川があるだけだ。
俺はうう、ううと泣きながら、足首まで水が上がってくる中で懸命に蜜柑を拾い集める。

突然、背後で気配がした。

「なにやってんですか。師匠」
声にハッとして振り返ると、やや離れたところにモブが立っていた。薄暗がりの中で、学ランを着て通学かばんを提げている。なんでモブがこんなところにいるんだろう。こんな地獄みたいなところに。夢だろうか。いや、ああそうか、今日バイトに来いって言ってあったんだ。それに気がついた時、胸の中が安堵の気持ちでいっぱいになった。
「それ、蜜柑ですか」
「ああ。俺、これを全部積まないと帰れないんだよ」
俺は努めて平静な声を出した。こんなところに一人でぐずぐず泣いていたなんて知られたくなかった。
モブは静かにこちらへやってきた。運動靴が小石を踏むざりざりと言う音。やがてつま先に水が掛かって、ぴしゃんと跳ねた。
「もうじきここは潮が満ちる。危ないから離れてたほうがいい」
「あんたはどうするんですか」
「だから、俺はこれを積まないとなんねーから」
「ふうん」
きいているのかいないのか、モブはどんどん近づいてくる。そうしてとうとう俺の隣までやってくると、水の上がりつつある河原に屈んだ。あたりにはまだ蜜柑が散らばっている。
「美味しそうだ。ちょっと剥いて食べましょう」
「え?」
剥いて食べる?これは俺が積まなければならない蜜柑なのに。こいつはなにを言っているんだろう。俺が困惑しているあいだにモブはさっそく一つとって、くるくると皮を剥き始めた。濡れた硬い皮膚が剥けて柔らかな肉が姿をあらわす。肉の上を這う無数の白い神経が、皮膚に引っ張られ否応もなしに剥離していく。そうして丸い果肉だけになってしまうと、モブは一房取って口の中へ入れた。
「美味しい。喉乾いてたからちょうどよかった」
「おまえ、そんなもん食って」
だいじょうぶか。俺の心配をよそにモブは平気な顔でもう一口食う。そんなことをしている間に、屈んだ学生服のズボンの裾に水がジワジワ染みていく。黒い生地は水を吸って、溶け千切れそうなほど重くなっている。
モブは言った。
「師匠も食べればいいじゃないですか。食べればなくなるんだから。そしたら積んだりしなくていい」
なるほど、確かにそれもそうだ。俺としたことが、なぜそんなことに気がつかなかったのだろう。
「でも、こんなに沢山食えるかな」
「二人だし、大丈夫ですよ」
モブは早くも一個を食べ終わって、次の蜜柑を剥き始めた。俺も真似して一つ拾い、皮を剥いて口に入れる。噛み締めた瞬間、じんわりと冷たい甘みと酸味が口の中いっぱいに広がった。
顔を上げると、向こうの方に景色があった。調味ではない。だが、知っている町のような気がした。見慣れたカボチャ色の電車が、初めて見る線路を走っていった。


「……ょう、ししょう、」

意識の遠くから、モブの声が聞こえる。

「師匠。師匠ってば」
肩を揺さぶられ、目が覚めた。頭がビクッとなって、左の頰を強かに打つ。ゴッ、と炬燵テーブルが揺れる音。テレビからドッと爆笑する声が聞こえてくる。
「炬燵で寝たら風邪ひくよ」
モブはそう言うと、足早にキッチンへと戻っていった。調理台の上にカップラーメンが二個並んでいる。それを見て、夜食でも食べようとしていたところだったことを思い出した。
「俺……どんくらい寝てた」
「さあ。五分くらいじゃないですか」
モブは濛々と湯気の上がるやかんをコンロから取り上げると、俺の方を見て「食べれますか」と聞いてきた。
「うん。食べる……」
熱湯が乾いた麺を焼く『ジュッ』という音がした。テレビの横の時計を見る。針は1時半を指していた。年越しまではと気を張っていた体も、目標を達成してそろそろ疲れてきたのかもしれない。テレビに向かって丸めている背が寒くて、炬燵の奥深くに座り直す。年始特番で朝まで続くというバラエティ番組は、いつの間にか違うコーナーに移っていた。なんだか無性に喉が渇いて、目の前にあるカゴから蜜柑を一つ取る。まだ十個はあるだろうか。しかも昨日段ボールの箱入りで買ってきたばかりだから、廊下にはまだまだ在庫がある。
皮に爪をめり込ませると、つんとした酸味が目に刺さった。
モブがキッチンから戻ってきて、カップラーメンを炬燵の上に置いた。テレビを見て「あ、この人最近面白いですよね」などと言いながら炬燵の中に潜り込んでくる。テレビの向こうで誰かがジョークを言い、会場が笑う。モブも笑った。夢の中で中学生だった横顔は、ちゃんと二十二歳のそれだった。

どうしてあんな夢を見たんだろうか。

モブはテレビを見たまま、カゴから蜜柑を一つ取った。皮が剥かれ、あたりに蜜柑の匂いが濃くなる。目の覚めるような匂いが夜更かしの部屋に満ちていく中で、カップラーメンのタイマーが鳴るのを待つ。


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